渋沢栄一の功績

渋沢栄一の名言
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渋沢栄一の名言 渋沢栄一の名言
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近代日本経済の礎を築き、日本の近代化のために奔走しながら91歳まで人生を全うした「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、次代に向けて多くの言葉を遺しています。その言葉の多くが、日本国内の実業家や経済界だけでなく、世界中のあらゆる人々に影響を与えたのです。尊王攘夷(そんのうじょうい)の志士、幕臣、新政府官僚、実業家と、様々な視点で生きた渋沢栄一が、自身の経験から語る名言の数々をご紹介しましょう。

渋沢栄一の功績渋沢栄一の功績
渋沢栄一に関連する人物、功績・教えについてご紹介します。

心に響く!「渋沢栄一訓言集」

「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)の自伝「雨夜譚」(あまよがたり)や「論語と算盤」(ろんごとそろばん)など、現在では、渋沢栄一に関する本が数多く出版されています。

まずは、1986年(昭和61年)に出版された「渋沢栄一訓言集」から厳選した名言を見ていきましょう。渋沢栄一訓言集は、渋沢栄一の講演の内容や言葉から本質を抽出し、ジャンルごとに簡潔にまとめられた訓言集です。

「無欲は怠慢の基である」

渋沢栄一

渋沢栄一

これは、渋沢栄一訓言集第10編「一言集」に記された言葉です。

渋沢栄一は、家業を手伝っていた青年時代から、常に夢を持って行動する人物でした。

自分の思い描いた夢を目標に、ひたすら追い求めた結果、渋沢栄一は日本経済を成長させるという大業を成し遂げます。

「夢」を持つこと、すなわち「欲」を持つことは、人が何かをするための原動となり、成長するために必要不可欠なものだと、渋沢栄一は説いているのです。実業家として成功を収めた渋沢栄一は、特に、商人にとって「正しい欲」を持つことが、成功の鍵だと考えました。

「経済に国境なし」

この言葉は、渋沢栄一訓言集の第1編「国家と社会」に記載されています。

このあとに「いずれの方面においても、わが知恵と勉強とをもって進むことを主義としなければならない」と続くのです。

政府による外交は「国と国」の間で行われるもの。しかし、民間の経済活動は「国」という枠組みにとらわれることなく、「人と人」の間で自由な活動を行うことができます。渋沢栄一は、政府と実業家のどちらも経験した上で、「経済に国境はない」と感じたのでしょう。

また、この言葉には、政府に頼ることなく民間の力で国境を越え、世界中で経済活動が行われることを強く望んでいた渋沢栄一の思いが込められているのです。

「学問は一種の経験であり、経験はまた一種の学問である」

渡欧時の渋沢栄一

渡欧時の渋沢栄一

これは、渋沢栄一訓言集の第4編「学問と教育」に記された言葉です。

このあとに「老人も青年も、この辺の消息の了解を要する」と続きます。

渋沢栄一は、江戸幕府最後の将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)に仕えた幕臣時代に、フランス視察を目的に渡欧。

渋沢栄一にとって、この経験は人生を変える大きな転換となり、多くのことを学ぶきっかけとなったのです。

このとき、渋沢栄一は「経験こそ学問の母」だと悟り、そのあとも日本で多くの経験を積み重ね、生涯学び続けました。幼い頃から学び続けてきた渋沢栄一だからこそ、経験が一番の学びになると実感したのではないでしょうか。

こうして渋沢栄一は、国全体で富を共有することを追求した結果、合本組織という「会社制度」を設立することとなったのです。

「すべて世の中のことは、もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である」

この言葉は渋沢栄一訓言集の第1編・国家と社会に記されている一言です。

渋沢栄一は、勤勉家で勉強熱心だった父の姿に影響を受け、幼い頃から探求心を持ち、学問に励む子どもだったと言われています。

家業を手伝うようになってからも、商人としての姿勢や生き方を考え、良い方向に進むための策を常に考える日々を送っていました。

そして、いつしか人生をかけて人々の幸福や国の発展に努めるようになった渋沢栄一は、何かを成し遂げるたびに、「もっと良い方法はないだろうか」と追求し続けたのです。現状に満足して足を止めず、さらなる高みを目指して歩み続けた渋沢栄一は、まさに衰え知らずの人物だったと言えるでしょう。

簡単には満足せず、常に次のステップへ進むことを考えていた渋沢栄一だからこそ、日本経済の成長を推し進めることができたのです。

現代社会にも影響力を与える!「論語と算盤」

1916年(大正5年)に出版された渋沢栄一の著書・論語と算盤は、数多くの会社を創業した渋沢栄一の思想が詰まった本のひとつ。日本企業の原点と言われ、現在においてもなお、日本のビジネスマンや経営者、起業家に読み継がれています。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘るという主義で、渋沢の分を守るということを心掛けている」

この言葉は、渋沢栄一の著書・論語と算盤の第1章「処世と信条」に書かれています。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というのは、蟹が自分の大きさに合わせた穴を掘ることを「人は分相応の考え方や行動をする」ということに例えたことわざです。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」

渋沢栄一は、明治政府で大蔵大臣に推薦され、また、日本銀行の総裁になって欲しいとも交渉を受けましたが、自分の分をわきまえて、固く辞してきました。

実業界に穴を掘って入ったからには、その穴の中で分をわきまえるという姿勢を保つことが、渋沢栄一の教訓だったのです。

「おだてられて傲慢な行動に出ると大きな失敗を招く」ということを、渋沢栄一は新政府や実業界を渡り歩いてきたなかで学んできたのではないかと想像できます。

刀剣ことわざ集
刀剣にまつわることわざをイラスト付きでご紹介しています。

「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕」

これは、論語と算盤の第10章「成敗と運命」の最後を締めくくる一文です。

「糟粕」(そうはく)とは、良いところを取り除いた残りかすのことで、成敗はただの残りかすに過ぎず、努力した過程が大切だと説いています。

ときに、良いことが続くこともあれば、悪いことが続くこともあります。「成功」や「失敗」といった結果だけを見て一喜一憂するのではなく、いつか来る機会に向けて努力し続けること。そして、誠実に人事を尽くし続ければ、いつか必ず道は拓けると、渋沢栄一は力強く語っています。

成敗やお金などは、一生懸命生きたあとに残るかすのようなものであり、最も大事なものは「人としてどう生きたか」ということだと考えられるのです。

語り継がれる!「青淵百話」

青淵百話

青淵百話

渋沢栄一の著書「青淵百話」(せいえんひゃくわ)は、渋沢栄一の談話を「井口正之」(いぐちまさゆき)が筆記。渋沢栄一本人が校正して刊行されました。

「青淵」は渋沢栄一の「雅号」(がごう:学者や文筆家が本名以外に付ける風雅な名前)です。

青淵百話は、「乾」(けん)と「坤」(こん)の2冊があり、合計1,000ページを超える大冊で、渋沢栄一の人生観、宇宙観、処世観、人事百般(じんじひゃっぱん:数多くの様々な人間社会の事柄)に対する信念を述べています。

1912年(明治45年)に初版本が刊行。そののち、1986年(昭和61年)に、復刻版として国書刊行会から渋沢青淵記念財団竜門社の解説付きで出版され、現在でも多くの人々に読み継がれています。

「一人だけ富んでそれで国は富まぬ」

青淵百話のなかで、渋沢栄一が日本で初めて会社制度を導入することとなった動機を語ったときに、この言葉を残しました。渋沢栄一は「商工業を発展させるためには、利益を得て発達する方法を考えなくてはならない」と語り、知恵のある者だけが利益を上げたところで、国家は強くならないと断言したのです。

また渋沢栄一は、当時、商工業における立場の弱さを改善しなくてはいけないと考え、「商工業全体の富」を考えたときに、「合本法」(がっぽんほう:渋沢栄一が提唱した公益を追求する人材を集めて事業を推進する最適な方法)しかないという考えに至ったと語られています。

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